Webディレクターへの道のり(フリーランス終了編)
最近ブログで過去を書いてるためか、昔の事をよく思い出して、よくここまできたなぁ、と感慨に浸る事が多くなりました。
どうも、ノツメです。
前回までのお話
フリーランスでの活動を始めたところまでお話しました。今回はその続きです。
フリーランス生活も終わりを告げます。
フリーランスの生活
だいたい月に20〜30万円程の収入で、それなりに安定的に仕事はあるものの、いまひとつ突き抜けられませんでした。仕事を持ってくる営業が売上の半分を持っていくのでしょうがないのですが、金銭的に将来的に不安を感じ始めます。
不安で夜寝られないので、夜中に仕事をする生活になり昼夜が完全に逆転。しばらく昼夜逆転させてると辛くなってくるので、そのうちちゃんとした生活に戻ります。ただ、しばらくするとまた昼夜逆転。とにかくその繰り返しです。
収入面を考えるととにかく将来が不安。しかし仕事をガシガシしたいワケではない。アイデア勝負で何かしたい、という気持ちはあれど、スキルが付いていかない。
悶々とする日々が続きます。
Webサービスを立ち上げるチャンス到来
その頃は「何かWebサービス的なものを始めたい」という人が非常に多く、ちょくちょく相談を受けたりしてました。ただ、その多くは「最初の資金は払わない、儲かったらその分は分配するから、こういうもの作ってくれる?」という話でビジネスにならない事ばかりでした。
そんな中、初期資金もそれなりに用意してくれて運営もある程度考えてる人からのお誘いがありました。初期では500万円くらいは用意してくれるとのことで俄然気合が入ります。色々と提案したり動いたりしましたが、結局はイニシャルコストのある程度はお前も負担しろ、やっぱり500万円も出せない、リリース後は無料で運営しろ、となり流石に断念しました。この話がうまく行ってたら、今もフリーでやっていたかも。
営業の裏切り
フリーでの活動も1年になろうとしていた時のことです。パートナーとして一緒にやっていた営業の人がお金の事を誤魔化すようになってきました。最初に取り決めた金額をもらえなかったり、納品直後に理由なく減額されたり、払わなきゃいけないお金を払っていなかったり、という事が目につくようになってきました。後からわかったことですが、遊ぶお金がなくなって近くにあるお金に手を付けた、という事だったようです。そんな事が続いたことから、信頼を失い関係を解消。フリーで続けていく事も考えるようになります。
「大きい仕事がしたい」という欲求
細かい仕事を数多くこなす事でしか稼げない実情。しかもその細かい仕事が永続的にあるわけでもなく、仕事を持ってきてくれた営業との関係も解消した事で、将来への不安がさらに高まります。もっと大きくて多くの人が見る仕事に携わりたいという欲求も出てきて、再就職を決意します。
いざ!就活へ!
2ヶ月程就職活動をして、2社内定をもらえました。2社の条件はほぼ同じでしたが、会社の規模を大きい方を選択。元々、大きい仕事がしたいというのが目的でしたからね。
この時からフリーランスから会社員として生きていくことになりました。
ちなみにフリーランスの時代は、全部自分で手を動かして制作してたので、ディレクターっていうよりはまだデザイナーでしたね。目指せディレクター!
Webディレクターへの道のり(フリーランス開始編)
ネタはいっぱいあれど、なかなかブログを書けない毎日です。
どうも、ノツメです。
前回までのお話
激務に疲れてしまったタイミングでちょうど独立のお誘いがあったため、ブラック企業を退職。そして夢のフリーランス生活です。
辞めた段階でのスキル
前職のブラック企業にて、デザインのスキルはかなり向上したんですが、HTMLコーディングやCMS関連のスキルがさっぱりでした。前職ではテンプレートにデザインをはめ込んでいくという構築方法だったので、イチからHTMLを書くことはほぼ無く、HTMLを書くとしてもCSSが全盛の時代にテーブルコーディングで誤魔化してました。CMSに関してはWordpressをようやく知ったくらい。よくそんなスキルで独立してフリーランスになんかなろうとしたな!という状態。しかもちゃんとした制作会社を経験していないので、制作の現場でどんなクオリティの仕事が行われているのかが分からない。とにかくフリーになったはいいけど、Web制作に関してのスキルが低すぎる状態でした。前途多難。
お仕事ゲット方法
そんな低スキル状態でフリーになったんですが、どのようにお仕事をゲットしていたかというと、それは営業をメインにやってるパートナーが仕事を取ってきてくれました。そのパートナーが人脈を使って、Webサイト制作のお仕事を取ってきてくれる。そのお仕事を私が制作して納品する。簡単に言うとその繰り返しです。
Webサイト制作の単価は10ページで10〜20万円くらい。それを月に2〜3サイト程作る。あとは他に細かい画像加工やバナーを大量に作ったりする仕事をこなしてました。売上的には月に50〜60万円程。それをパートナーと完全に折半していました。なのでまぁ生きていくには困らないけど、贅沢は出来ない。そんな感じで緩く仕事していました。
目指した働き方と目標
元々の目的は、「単純にお金稼ぎたい」というのと「楽したい」という完全にダメな方向性でのスタートでした。「Web使ったら何か知らんけど、何もせんとお金入ってくるシステム的なサービス作れるんちゃうか?」という素人丸出しのヤバイ考え。どうにかそれを実現するために、動的にサイトを作る方法とかを独学で勉強していました。
フリーランスの実働
緩く仕事をしていたので、1日の実働は3〜4時間程度。あとはひたすらネットサーフィンでWeb制作の勉強。この頃にWeb制作の基礎知識をネットから学んで身につけました。この頃は本当に仕事してませんでしたね。前職の激務からの開放で完全に燃え尽き症候群になってました。
こんな状態にもチャンスとピンチが訪れます。
それではまた次回。
Webディレクターへの道のり(ブラックで修行 入社〜退職編)
更新を1日開けてしましました。
毎日ブログ書くってのもなかなか難しい。
どうも、ノツメです。
前回までのお話
働き始めてみての感想
今まで肉体労働の仕事ばっかりだったので、椅子に座って仕事できるという環境に感動します。「足痛くなることもないし、なにこれ楽勝すぎる」っていうのが最初の感想。
残業代も出ず、給料も手取りで15万くらいで、ボーナスも10万☓年2回という待遇だったけれども、知らない事を覚えていってスキルアップしていく楽しさがあり、全然苦痛だと感じませんでした。
激務と出世
そのうち「通勤時間がもったいない、家に帰るのがめんどくさい」という理由から毎日会社に寝泊まりして仕事していく生活になっていきます。仕事量が多く、そうしないとやっていけないという理由もありましたが、望んでやっていました。仕事がある以上、何をやってもこなさなければならない、というよく分からない使命感がありました。役職つけて給料上げたいって思いもありましたね。なので、当時はそんだけブラックな状態でも辛くなかったし、不満もなかった。あの頃に戻りたいとは全く思わないけれど、その感覚を得られたっていうのは非常に貴重な経験だったと思っています。
そんな状態で営業から来た仕事を「はい!喜んでー!」とこなしていると、だんだんと信頼されていくようになります。入社後1年半で役職が1つ付きチームリーダーとなりました。直近の個人目標をそこにしていたので、素直に嬉しかった。一旦の目標を達成!
このまま続けているけるの?という疑問
直近の目標を達成して、若干燃え尽きました。その頃からそんな生活が辛くなり始めます。ひたすら走り続けて来たけど、簡単に言えば疲れてしまった。プライベートもなく楽しみがない。
また、スキルと知識を持った人が入社してきたのをきっかけに、社内のレベルが低い事を知りました。PSDのデザインばかりやっていたので、マークアップのスキルが低く、サイトを一から構築できない。このままの生活は続けられないだろうし、さすがに手取り16万じゃ厳しい。(入社からは役職手当で月+1万円アップ)
将来に対しての不安がドンドン大きくなっていきました。
独立のために退職を決意
そんな事を考えてると、ちょうど一緒に独立しないか?というお誘いがありました。このまま続けていても未来が無さそうな事から、その話に乗ってみることに。営業の人と組んで自分が制作を担当するということで、制作メインの広告代理店のような事をやろうと考えていました。
初めて出す退職願。離職率の高い職場だったので、すんなりと受け入れられました。「あぁ、お前もね・・・」みたいな感じ。
という事で、独立するための準備に入ることになります。
Webディレクターへの道のり(ブラックで修行 入社編)
100記事くらいまでは頑張って投下し続けていきたいと思います。
こんばんわ。ノツメです。(ひらがなだと名前と分かりにくいのでカタカナにしてみました)
▼前回までのあらすじ
はい、前回からの続きです。
大学卒業後にやっていたバイトですが、社長と喧嘩をしましてクビになりました。
社長は基本パチンコ屋にいて、事務所にいる時は社員と麻雀してるような人で、職場もかなりカオスな状態だったので、まぁ良いきっかけになったと思うことにします。くそう!
心機一転、無職になったので職を探す事になりますが、お金はないわ、仕事はないわ、やることないわ、で精神が蝕まれていました。くそう!
この頃は運悪く、リーマンショックのすぐ後で、とにかく仕事がない。
せっかく就職するならデザイナーになりたいと思い始めます。せっかく大学も出たし、元々は目指してた道、その世界に戻りたかった。
今までグラフィックデザインの勉強しかしてこなかったので、ひとまず印刷会社やデザイン
事務所を中心にハロワで職探ししてました。
世界の経済が全然ダメダメなときに、未経験のデザイナーもどきを雇ってくれる会社なんてなく、たまたま見つけた良さそうな求人も当たり前のように書類落ち。くそう!
この時期は今思い出しても相当辛かった。
我が人生においての一番の暗黒期。
そんなか、面接してくれる会社がありました。
その時は知らなかったのですが、この地域ではブラックで有名な会社で、その事は後から知ります。
そんな事は知らなかったし、面接してくれるだけで嬉しかったので、ウキウキで向かいます。
オフィス街から少しだけ離れたところにあるキレイなビル。
中に入るとMacがずら~っと並んでいて、みんな仕事してるっぽいじゃないですか。
今まで肉体労働しかしてこなかったんので、憧れのオフィスワーク。
期待は高まります。
面接は無事終了。とにかく仕事がほしかったので、条件や待遇は気にしませんでした。
「帰れないよ?」と言われても、まぁ別に構わんしーという感じで答えてました。
今だったらありえない。その時点で面接終了させてると思ういます。
そして結果は合格。
しかも紙で応募したのにもかかわらず、Webの部門への配属となりました。
Webはやってみたかったけど、全く知識のない自分にとっては非常にラッキーな事。
そんなこんなで入社までテンション上がりまくり。
実際働き始めたらどうだったのかーというのはまた次回。
Webディレクターへの道のり(きっかけ編)
中間管理職のWebディレクターのお話はじめます。
どうも始めまして。のつめです。
「今年こそはブログをスタートする」という目標を掲げて、はや1ヶ月。
ようやくスタートします。
30代中盤でWeb制作会社で働く中間管理職Webディレクター。
会社やクライアントと戦い続けてます。(クライアントは味方のことが多いです)
日頃の仕事のことやWebの事などを綴っていきます。
30代半ばにして、このままじゃそろそろマズイと感じて転職活動もボチボチ行ってるので、そのあたりの話もしていけたらな、と思います。
続けられるようにがんばります。